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2012/01/08 15:33
マスネが大河ドラマのために作曲 タイラの名将曲 |
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2011/12/24 00:00
ツイッターで拡散するフィンランドの指揮者 サラスデ |
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2011/12/03 00:20
和田選手が運営するスイスのオケ チューニッチ・ドーンハゲ管弦楽団 |
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2011/11/15 22:12
沿線では管楽器の調子が良いという 吹くと新鮮 |
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2011/10/23 13:27
やたら演奏が難しいベートーヴェンの大曲 みな・それ無理す |
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2011/09/28 23:23
事実そうであった サイコン・ラトル |
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2011/08/19 22:28
不完全燃焼の家族を描いた巨編 カラ満足の兄弟 |
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2011/08/11 00:45
何をしに席を立ったか忘れてしまうオペラ さまよえるおかんたち |
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2011/06/20 23:46
あちきは36番が好きで あリンツ |
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2011/05/31 00:10
グラズノフはあまりジョッキで飲まない グラス飲む |
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2011/05/16 00:58
霊長目が活躍するサン=サーンスのオペラ サルさんとゴリラ |
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2011/05/05 23:20
他人のつぶやきに興味がないピアニスト フォロ3つ |
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2011/04/25 22:41
息子の頭の上に載せたパソコンを矢で射抜くオペラ ウィリアム・デル |
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2011/04/16 20:58
白鳥たちがひやひやしながら踊るバレエ作品 薄氷の湖 |
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2011/04/03 13:37
ホフマンが次々と恋をするもののいずれも破局するオペラ ご不満物語 |
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2011/04/03 13:34
焼肉が大好きな指揮者 カルビロース・クライバー |
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2011/01/11 00:40
平成14年1月4日、ウィーン北部に向かう。ハイリゲンシュタットはベートーヴェンが「傑作の森」時代を過ごした場所として有名で、多くの代表的な楽曲がここで産み出された。ベートーヴェンはヨゼフ・ハイドンに師事する為故郷のボンを出て、このハイリゲンシュタットに居を定めた。界隈で3度転居したのでベートーヴェンの家は4軒残されている。ウィーン市北端に位置するこの地域は残雪が多く、雲一つない快晴だったがとても寒かった。暖房に眠気を誘われ路面電車に揺られること数十分、楽聖時代の面影は薄く、周囲は高級住宅街に様変わりしていた。19世紀初頭、楽聖の6番目の交響曲は「田園」と綽名された。モチーフとなった散歩道が今でも残されている。30代に入り難聴が悪化した彼は耳が聞こえるうちに「自然」の音を脳裏に焼き付けようと考えた。澄んだ空気、川のせせらぎ、鳥のさえずり、嵐が過ぎた後暗雲の間隙から刺す光。「田園」には自然の表情が詰めこまれている。 |
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2010/10/11 19:24
ロベルト・シューマンが1834年にライプツィヒで創刊した「音楽新報」を読みました。もちろんドイツ語の原文ではなく、岩波から『音楽と音楽家』と題し発刊されている訳本です。表題のとおり当時の音楽と音楽家をピックアップし、批評を通して世に紹介するものです。「音楽新報」は幾人かによって執筆されていましたが、創刊から数年間はシューマンが記事の多くを手掛けており、本著にはそのシューマンが執筆したものが執筆年代毎にまとめられています。なお、「音楽新報」は現在も刊行されており、権威ある音楽雑誌としてその役目を継承しています。 |
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2010/09/05 14:11
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の名文から始まる『方丈記』は文庫本にして30ページほどの短編作品です。著者である鴨長明が生きた時代は、平氏と源氏が骨肉の争いを繰り広げる平安末期から鎌倉時代。国内三大随筆のひとつと称されるこの随筆が成立したのは1212年で、時に長明は60歳くらいになろうかと思います。この作品は古典の教科書で取り上げられることが多いようですが、私は一度も触れたことなく、代わりに中学時代に枕草子を暗記した記憶があります。名曲、名画同様、長らく歴史のふるいにかけられ今日まで光彩を届かせる力はやはり深い味わいを蓄積しています。この度初めて開いた『方丈記』も異なりません。災害に翻弄される庶民の暮らし、世の無常に辟易した隠者の心理を、約800年の時を超えて克明に伝えています。 |
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2010/01/03 13:49
18年ぶりに訪れた長崎市街は、快晴も手伝い、年の瀬の時候に反して温かく、翌日に控えた軍艦島上陸も問題ないものと思われました。しかし、そこは自然の世界、いや日頃の行いか、翌朝吹きすさぶ寒風が起こした少しばかりの時化が、我々の接岸を阻みました。 |
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2009/07/20 21:27
新日本三景というものがあるそうで、北海道駒ケ岳の麓にある大沼、三保の松原、大分の耶馬渓が数えられるようです。今回はそのひとつ耶馬渓へ行きました。山陽新幹線で小倉まで行き、特急ソニックで日豊線を大分方面に南下します。耶馬渓最寄りの中津を通過し、まず別府駅へ向かいました。 |
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2009/04/20 23:16
4月19日、厚木交響楽団の第61回定期演奏会へ行きました。友人大浦君の指揮を久々に見ることができました。演目はヴェルディのオペラからの抜粋とチャイコフスキーの交響曲第5番。彼のフルオーケストラでの生演奏を見るのは実は初めて。更に私の好きなシンフォニーで迎えてくれようというのですから、楽しみでないわけがありません。今回も大浦君にわがままを聞いてもらい、前日のリハーサルから拝聴しました。大ホールの客席に数名しかいない中で演奏を聞けるのはとても贅沢です。表現力を増した大浦君の指揮もさることながら、楽団の方やオペラリリカ八王子合唱団の方の音楽を作り上げる熱意に感動しました。 |
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2009/02/21 12:42
石見銀山へ行きました。今年初めての小春日和の昼過ぎ、大阪を発ち新幹線で岡山まで。特急やくもに乗り換え中国山地を縦断する伯備線を北上します。途中山間に幾分場違いな寝台特急サンライズ出雲とすれ違い、遠く薄暮に雪を冠した名峰大山を眺めながら、19時頃出雲市駅に到着しました。数年前出雲大社を参詣した折り出雲そばに舌鼓を打ち感激したので、早速久しぶりの割子そばを頂きました。濃厚で腰の強い麺はさすがでしたが、打ってから時間が経ったのか、瑞々しさを欠いていたのが少し残念でした。一夜明け、翌朝6時の始発益田行にて大田市駅へ向かいます。群青色に染まる未明の海、低い波頭が白い泡沫を拡散しながら打ち寄せる様は陶磁器の墨絵のようです。静寂に図々しく割り込むディーゼルの音に掻き消され届かないはずの波の音が、耳の奥を幽かに震わせます。冬の海にしては凪に近い状態に、昨日に続き良い日和になることが予測できました。 |
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2009/01/10 16:19
自身と同じ誕生日の偉人に中浜万次郎がいます。今日、ジョン万次郎としてその名が知られています。ジョン万次郎の呼び名は井伏鱒二の直木賞作品『ジョン万次郎漂流記』が始まりのようです。「ジョン」とは彼を救助したアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に由来し、当時彼はジョン・マンと呼ばれていました。井伏鱒二は万次郎とジョン・マンの組み合わせをもって、ジョン万次郎としたことが考えられます。幕府に登用されてからは故郷の地名中浜を冠し、中浜万次郎と名乗りました。 |
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2008/11/03 19:01
大阪と新潟を9時間で結ぶ寝台急行「きたぐに」に乗りました。目的地の直江津まで8千円程度と安価であることから、23時27分始発の自由席(4人用ボックスシート)に陣取り、約6時間を他の旅客と向かい合わせで過ごしました。言うまでもなく田舎の夜景である為、また途中まで普段の通勤経路と重なる為、特に車窓を楽しむつもりもなく、ましてや週末の疲労もあって始発から眠るつもりでいましたが、米原あたりまでは初めて夜行列車に乗る興奮から、眠気を催しませんでした。北陸本線に入ったあたりで尻の痛さに限界を感じ、横臥に切り替えたところ、落ち着いて眠りにつくことができました。無論横に2人分の長さしかない座席に臥しても足を延ばすには至りません。特に長身の私は頭と胴できっちり二人分を占有します。うまく足を曲げるなど工夫し、態勢を変えながら過ごしました。眠る乗客に配慮し、大津あたりから翌5時56分に到着する直江津駅の手前まで車内アナウンスはありません。途中下車する場合は自分で到着時刻を把握しておかねばなりません。周囲は週末の帰省客もあって老若男女さまざまでしたが、それほど混雑はせず、列車が動き始める度にガツンと音を立てる連結部の軋みを除くと概ね快適でした。 |
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2008/07/06 00:07
平成15年10月6日、午前9時に関西国際空港を離陸したルフトハンザ機は、12時間の長い飛行を終え、定刻の午後3時頃フランクフルト空港に到着した。飛行時間は半日だが時差がある。ヨーロッパへのフライトは2年前ロンドンへ飛んで以来2度目。着陸前、眼下の都市を遮る雲の中が猛烈に吹雪いていた。薄手の防寒着しか携行していないので予想以上に寒いのではと心配になった。着陸してみると雪は止んでいたが、滑走路は一面湿っていた。自身初となる念願のドイツの大地に第一歩を踏み出した。ウィーン同様心地よいインスピレーションが包んだ。 |
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2008/05/05 18:43
福沢諭吉といえば1万円札の肖像が有名です。著書『学問のすすめ』を読みました。1872年から1876年にかけ十七編に分けて執筆された宝鑑は、一編につき約20万部発行されたといいます。維新期の日本の人口は約3000万人。現在の人口換算でいくとシリーズ1千万部突破の大ヒット作品といえるでしょう。その痛快な思想開陳には、幾分過激な内容も散見されますが、文明開化の時代に生きた情熱の躍動感に圧倒されます。大変革直後、浮足立つ我が国の価値観の中で、確固たる気概と先取の観がみなぎっており、民主主義を謳歌し、国家独立を高揚するものです。表題に違わず学問を推奨した内容に異なりませんが、諭吉は自分の生計を支え、引いては国家の形成に寄与するものでなければ、真の学問ではないと説いています。 |
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2008/04/28 00:40
中国の老子の本を読みました。書名『老子』はその構成から別名『老子道徳経』とも呼ばれています。名句「上善水の如し」は、日本酒の名前に用いられています。老子が活躍した時期は春秋戦国時代ですが、ほとんど記録が残されておらず、実在が判然としない半ば伝説のような人物です。中国の代表的な思想に孔子が創唱した儒教と老子を信奉する道教(古来からの民族宗教)があります。私は『論語』を読んだことはありますが、この度『老子』に初めて触れます。儒教と道教の両輪を知らずにいることは無知に等しく、老子に触れることで孔子の思想さえそれほど理解していなかったことに気付かされます。ともに徳のあり方を説きながら、老子の教えは孔子とは真逆です。孔子は礼楽を推奨し、学問の必要を説きますが、老子はそれら一切を痛烈に批判しています。老子は知識を蓄えることで社会の競争が助勢され、人々が一層苦しむことになると危惧し、そういった知識を捨て、自然と合一しその身を任せよ(無為自然)と訴えています。自然界に底流する母なる領域こそ万物の根源であり、老子はその杳としてつかみどころはない精神世界を「道」と呼び、道を会得した人物を聖人としています。 |
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2008/01/17 00:12
シューベルトといえば600曲以上の歌曲を世に放った「歌曲王」として有名です。しかし声楽に疎い私は交響曲を好んで聞きます。彼の交響曲は付番の解釈が時代や編纂者によって異なり、しばしば混乱を招く原因にもなっています。第1番から第6番までと、第8番(未完成)、第9番(ザ・グレート)の他、付番されていない未完作品を含めると14曲に上るようです。第8番が、未完にも関わらず作曲家の代名詞のように突出したのはその音楽性の高さからです。1822年、シューベルトは兼ねてからの売春宿通いがたたり、梅毒を罹患します。幸福だった人生が一転、悲運のどん底で書かれたのが未完成交響曲です。なぜ第3楽章の冒頭で筆を止めたのか依然不明ですが、その暗澹たる心情を慮ると、気力が持続しなかったのかもしれません。しかし、苦悩と諦観がふたつの楽章で充分表現し尽くされているようにも感じます。 |
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2007/12/26 21:11
平成15年10月11日、この日もフリードリヒシュトラーセ駅を起点に、昨日より東側を散策した。公演情報を確認する為にベルリン交響楽団の本拠地コンツェルトハウスへ向かう。戦後西側に属したベルリン・フィルに対抗するため、東側にベルリン交響楽団が創設された。この街にはアテネ神殿を模した建物が多く、連邦議会議事堂やブランデンブルク門同様、コンツェルトハウスも石柱そびえるエキゾチックな外観だ。玄関は石段下の半地階にあった。この夜、エリアフ・インバル氏の公演が予定されていた。破格の15ユーロだ。迷わずチケットを購入する。建物前にはジャンダルメンマルクトという石畳の広場があり、ホテルマンの衣装を着た道化師が回転式のオルガンを演奏していた。 |
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2007/11/25 23:03
びわ湖ホールにてオペラを鑑賞しました。演目はツェムリンスキー作曲の歌劇「こびと〜王女様の誕生日〜」。大浦君が副指揮者としてこの公演に携わっており、数ヶ月前から楽しみにしていました。指揮はびわこホール芸術監督の沼尻竜典さん。主人公のこびとを演じるのは国内屈指のテナー福井敬さん。欧州の歌劇場にも引けを取らない贅沢な布陣です。沼尻さんは今年1年間ツェムリンスキーの企画を同ホールで進め、この日の上演はシリーズの締めくくりになるそうです。私はツェムリンスキーの名をこの公演で初めて知りました。19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した聞きなれない作曲家の名は、しかし当時シェーンベルクや、後のマーラー夫人となるアルマを弟子に持っていたことから、相当著名であったことが伺えます。大雑把に分類すると作風は後期ロマン派に位置しますが、後にシェーンベルクが十二音階技法を編み出したことで、新旧のエアポケットに埋没してしまったといえます。本公演はシリーズの総括であると同時に、何よりオペラ形式での国内初演という記念すべきものです。 |
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2007/11/04 22:30
最近仕事量に比例して、読書量が増えています。現実逃避ではなく(無論多少はそういう作用があるにせよ)、生活に必要なエネルギーを本から受けているような気がします。今までは忙しければ、読書が進みませんでした。しかし今は時間がないほど進みます。良い本に出会えた幸福は、人との出会いと同じではないでしょうか。このたび以前から目をつけていたロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』(片山敏彦氏訳)を手に取りました。憚りなく明言します。私はこの本に出会えて幸福です。小林秀雄著『モオツァルト』に比肩し得る、否、それ以上の、モーツァルト贔屓の私をぐっとベートーヴェン側に引き寄せる快作です。表題の通り楽聖の人生を綴ったものですが、単にひとりの音楽家の足跡を描いたものではなく、革命時代に生きた偉大な魂の苦悩と勝利を克明に、我が身の禍福の如く描写しています。クラシックに興味のある方はその生涯が不遇の連続であったことをご存知でしょう。ここでは音楽はひとりの苦悩の化身が生み出し、世に残した媒体に過ぎません。序文の執筆動機を引用します。 |
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2007/10/29 00:11
『ファウスト』はドイツ古典主義文学の文豪ゲーテが60年を費やして完成させた戯曲です。解説を読むまで知りませんでしたが、物語は16世紀末にドイツで流行した伝説が原型となっているようです。ファウスト博士は諸般の学問を究め、魔術に手を出すも、この世の真理を何もつかむことができず、己の能力に限界を感じ自殺未遂を起こします。ある夜、犬の姿で現れた悪魔メフィストーフェレス(以下メフィスト)と契約を結びます。 |
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2007/08/18 13:23
全国を旅したいと思い始めたのは、そう昔の話ではありません。未踏の都道府県が残り少ないことに気づき、昨年から今年にかけて憑かれたように動き回りました。15日、青森県と秋田県にまたがる白神山地を一周し、ひとまず目標にしていた全都道府県を制覇しました。また先日登録された石見銀山を除くすべての国内世界遺産に赴いたことになります。宿も予約せず、行き先も時々の状況によって判断する、今までの旅を象徴する無鉄砲な行程でした。 |
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2007/07/22 03:01
平成13年1月30日朝、ウィーン西駅発の特急列車はザルツブルクへと向かった。中途リンツに停車した。街の名はモーツァルトの交響曲36番の副題として有名だ。作曲家は1783年(27歳の時)帰省したザルツブルクからウィーンへの帰途、演奏会のためリンツに立ち寄った。交響曲は速筆を象徴するように4日間で書き上げられた。奮発し一等客室に身を委ね、「世界の車窓から」さながら町並みを楽しんだ。作曲家アントン・ブルックナーはここのザンクト・フローリアン修道院のパイプオルガンの下に埋葬されているという。車内のビュッフェでご当地のビーアを嗜み、旅の疲れから転寝をしている間、雪原を駆ける列車は神童の故郷との距離を縮めた。出発から3時間後の正午、夢に見た幻想的なザルツブルクが静かに姿を現した。 |
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2007/07/04 01:27
昨日、東京へ出張してきました。3日前に運行を開始した新幹線N700系は、従来の車体と比べ体への負担が少ないように感じました。業務後、雑司ヶ谷にある夏目漱石の墓を訪れました。雑司ヶ谷は池袋駅から歩いて行ける距離です。緑豊かな霊園の枝葉からのぞく高層ビルに、異様なギャップを感じました。広い敷地をひとまわりし、目当ての墓を発見しました。安楽椅子をイメージした墓石はやや大型で、どっしり腰が据わった特徴的な形をしています。表面には大きく「文献院古道漱石居士」と彫られ、背面には「大正五年十二月九日歿 俗名夏目金之助」とありました。私は漱石の作品を少なからず読んでいます。享年50歳、『明暗』の完成を残し、近代文学界の巨人はどのような思いで眠りに着いたのでしょうか。作品群が持つ物語の親しみ易さは、今日まで大衆に受け入れ続けられている大きな要因です。 |
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2007/07/01 19:19
フランス人作家サン=テグジュペリ(1900年生まれ)は、第二次世界大戦時、偵察として単機で出撃し、その後消息を絶ちました。44歳でした。航空への憧れに貫かれた人生は、人間社会を鳥瞰した特異な視点を育み、代表作『星の王子さま』は全世界で5000万部を超える、空前のロング・セラーを記録しています。原作の表題『Le Petit Prince』を直訳すると「小さな君主」。我が国で当たり前となった『星の王子さま』の名は、最初に翻訳した内藤濯氏が命名したといわれます。日本での著作権保護期間が終了したため、近年訳本が次々と書店を賑わし、しばしば「星の王子さま」と異なるタイトルに訳された書籍も目にします。この物語を読むと切ない気持ちになります。雑多な世事に埋もれるほど、王子様の純粋な心に打たれます。きんと澄んだ砂漠の真ん中、絶望と隣り合わせであるにも関わらず、蝶の翅のようにはかない王子様がいるだけで、もうそれで充分な気持ちになります。王子様は我々が昔誰でもそうであった赤ん坊の心の象徴なのかもしれません。このたびフランス語の原文を入手し、翻訳してみました。今まで内藤氏の訳本を読んでいましたが、翻訳してみることでサン=テグジュペリの真意がより伝わるようです。原文も平易な文体なので、フランス語に興味がある方にお勧めしたいです。 |
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2007/06/03 22:44
平成15年10月19日、ついに滞在最終日を迎えた。パリの見所は膨大で、細かく挙げれば切りがない。パリ観光を自負するにはあとひとつ忘れてならない場所がある。太陽王ルイ14世が享楽を極めたヴェルサイユ宮殿だ。アンヴァリッド駅でRER(高速郊外鉄道)に乗り換える。RERの車両は国鉄のものに比べて一回り大きく、2階建てのものもある。郊外の風景を眺めながら30分ほど南下すると、最寄りのヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅に到着した。駅周辺には閑静な町並みにみやげ物屋やレストランが軒を連ねる。並木道を5分ほど行くとルイ14世の騎馬像が迎えてくれる。その正面玄関の後ろに両翼400メートルの宮殿が横たわっていた。「有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿を」との号令の下、1661年から約50年にわたり築き上げられた。国内中の建築家、画家、彫刻家、造園家、工芸家、そして何万人もの労働者が借り出された。貴族を酒浸りにし、謀反を阻止しようと毎日のように宴会が行われたが、皮肉にもその豪奢な振舞いが革命の引き金を引く。完成から約100年の後、ルイ16世は王妃マリー・アントワネットと共に断頭台の露に消え、ブルボン王朝は滅亡する。宮殿入口には長蛇の列が連なり進む気配がない。宮殿内部には鏡の間と呼ばれる部屋があり、ここを見なければ訪れた価値も半減する。第一次世界大戦の終りを告げるヴェルサイユ条約が締結された歴史的にも価値のある部屋だ。しかしこの行列を待つ気にはならない。悔しいが宮殿へ入るのは諦めることにした。 |
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2007/05/28 17:59
ベルリンにはDB、BB、UB、SBの4つの鉄道がある。DBは国有鉄道。BBはベルリン鉄道(市電)。UBは地下鉄。SBは路面電車。この他バスも走っているので、移動に困ることはない。平成15年10月10日、市電に乗り、ティーアガルテン東側に位置するフリードリヒシュトラーセ駅にて下車する。切符の買い方はDBと似ているが、行き先を指定するDBに対し、市電は距離によって区分けされたエリアを選択する。地下鉄も同じだ。 |
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2007/04/26 22:41
昨日、出張ついでに尾道へ寄りました。尾道行きは志賀直哉ゆかりの地とあって学生時代からの念願でした。仕事は早朝に始まり昼過ぎには終わるので、午後の時間を使うことができます。前夜3時間しか寝ておらず、体力が許せばと考えていましたが、尾道へ行く機会はそう発生しないこともあり、在来線で時折眠りながら向かいました。 |
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2007/04/16 00:09
平成15年10月18日午前10時、ルーブル美術館に到着する。城砦のような外観に本当に美術館かと何度も確認した。門を潜ると広大な中庭が広がっている。ガラス張りのピラミッドに行列が延びており入口だと判別できた。列は既に30メートルほどに達していた。金属探知機による手荷物検査が行われ、エスカレータで地階に下りる。ロビーは商戦で賑わうデパートのように混雑していた。中央にはインフォメーションセンタがあり、数ヶ国の言語に翻訳されたパンフレットが陳列されている。ロビーだけでもマンモス振りが伺える。館内には古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシャ・ローマ、彫刻、絵画、デッサン、美術工芸の7部門にわたる約30万点ものコレクションが展示されている。地域や分野別にシュリー、ドノン、リシュリューと呼ばれる三つのセクションに分かれており、どこから観賞しても良い。パンフレットを見る限り全て回れそうにないが、親切にも重要な見所がピックアップされていた。 |
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2007/03/31 11:58
ワイマール午前6時半、ホテルのレストラン開店同時に食事を済ませ、7時にプラットホームへ上がる。外は真っ暗で、東の空が微かに白み始めていた。既に通勤や通学の客が列車を待っていた。平成15年10月17日、今日はいよいよフランスに入国する。フランス文学を専攻するも一度も訪れたことがなく、大きな念願となっていた。一旦旅の起点フランクフルトへ戻り、乗り換えてパリ・エスト駅へ向かう。10時間に及ぶ鉄道の旅だ。ディーゼルに牽引された貫禄ある客車が入ってきた。予約した指定席に座る。青い空気に包まれ走る車窓からは、エアフルト駅前の大きなマンションやバッハ生誕の地アイゼナハの長閑な町並みが見えた。朝霧が濃く、日の出後も視界は回復しない。風景画にミルクをこぼしたような、薄緑色から地平の白い闇へ消えていく様が幻想的だ。銀河鉄道さながらの情景に幻惑され、後半はほとんど眠ってしまった。気づくと快晴の空に浮かぶフランクフルトの高層ビルディングが目に飛び込んできた。フランクフルト中央駅もライプツィヒ同様、頭端式の巨大な駅舎だ。ヨーロッパでは頭端式が多く、進行方向を向いて座っていても、いつの間にか逆向きになっていることがしばしば。1時間ほどの乗り継ぎ時間を構内で過ごした。空の玄関口だけあって多くの人が行き交っている。売店に入ると店員と客が口論を開始した。店の前に転がっていた空き缶の処理を巡り激しい剣幕で罵り合い、目の前を空き缶が飛び交った。危うく流れ空き缶に当たりそうになった。 |
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2007/02/25 22:32
屋久島からの帰路、吉野ヶ里遺跡へ寄りました。ご覧のとおりの歴史好きですが、古代遺跡に格別の願望があるわけではありません。未踏県に立ち入ることが目的です。このたび兼ねて未踏だった鹿児島県、佐賀県の2県を旅しました。今夏、計画している秋田県にて全都道府県制覇を達成の見込みです。無論全県を旅したから何が起こるわけでもありません。リフレッシュというありきたりな(しかし最も重要かもしれない)要因を挙げるのも適切ではありません。ただ、できる限り多くの土地を踏みたい思いを測るひとつの指標です。 |
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2007/02/13 19:50
連休屋久島の縄文杉に会ってきました。本来荒川登山口からの挑戦が一般的ですが、欲張って白谷雲水峡から登りました。本格的なトレッキングを楽しむのは一体何年振りでしょうか。 |
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2007/01/22 22:49
平成15年10月9日、ボン中央駅を出発した電車に揺られること4時間半。時計の針は午後3時を回っていた。ICEは速度を落としベルリンの中心部へ進む。ツォー駅はこの都市の最主要駅で、「Zoo」のドイツ語読みとしてこのように発音される。もちろん近くに動物園がある。ドイツ連邦共和国の首都は随所に歴史的建造物を抱く文化都市だ。人口350万人は横浜市とほぼ同じだが、ベルリンには空間の広さを感じる。 |
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2007/01/05 22:23
三十路に入り1年が経過しました。月日が加速している気配を禁じえません。幕末の志士吉田松陰は、安政6年(1859年11月21日)29歳の若さで小伝馬の獄中に没しました。大老井伊直弼が攘夷論者を封殺した安政の大獄です。獄中で門弟に宛てた遺書『留魂録』は文学的にも価値の高い名著といわれています。儒者でもあったその思想に共感します。第八章に死生観を述べた名言があります。 |
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2006/12/09 15:33
平成15年10月7日、昨夜8時に就寝したが時差ボケで体が重い。7時に朝食をとるもホテルを出たのは10時頃だった。外は生憎の俄か雨。ホテル前の道を駅方面へと戻る。湿った落葉が散在する住宅地の街路から若干ルートを変えて並木道を抜けた。雨は情緒があるのでそれほど嫌ではない。駅北側は飲食店やブティックが軒を連ねる繁華街で、昨日同様多くの人が往来していた。高層建築はなく、教会など古い建物と調和の取れた町並みだ。 |
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2006/12/03 01:31
平成13年12月31日、アニフから一旦ホテルに戻って休憩した後、カウントダウンを控え俄然お祭り気分の旧市街へ再び向かった。ザルツァッハ川周辺は混雑していた。昼間見かけない若者たちもどこからともなく集まってきた。彼らが暗がりの道路に爆竹を投げつけるので、心の準備をしておかなければ驚く。大聖堂横のレジデンツ広場では野外ステージが仮設され、露店が軒を連ねていた。年越しムード一色だ。巨大な大聖堂は774年に創建、12世紀末に後期ロマネスク様式に改築された。眼下の賑々しさとは対照的に神妙な趣を増す。流れるダンスミュージックとの組合せも新鮮だ。モーツァルトが見たら苦笑するだろうと天を仰いだ。ステージ上では有名人か地元の人かわからないが、歌ったり踊ったりとイベントが繰り広げられていた。年越し5分くらい前になると、おもむろに「Y・M・C・A」の曲が流れた。案の定群集は両手で文字を模り大合唱。1分前、周囲は緊張感を帯びてきた。待たずともその時は訪れた。10秒前、「・・・ファーア、ドライ、ツバイ、アイン!」が唱和されるとボルテージは最高潮に達した。幾発もの花火が新年の夜空に打上げられた。カクテル光線にライトアップされた大聖堂の図太い鐘音が、山間に深く神々しく鳴り響いた。近くで見上げる少女の幸福な笑顔が印象的だった。ヨーロッパはこの瞬間、経済の大変革を迎えた。2002年1月1日よりEU加盟各国は一部を除き、統一通貨ユーロの流通を開始した。旧来の個別の通貨は2月末日まで使用可能で、以降はユーロのみに使用が限定される。お釣りは必ずユーロで返すように決められているので、お店の対応は混乱を極めた。眉間にしわを寄せ入念に確認するスーパーの店員さん。10ユーロセント多く釣銭を返してくれたバスの運転手さん。支払いが発生する場所にはしばしば行列が見られた。手にする貨幣はいずれも無垢な輝きを放っていた。 |
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2006/11/19 14:50
平成15年10月8日、この日ケルンへ行ってみることにした。ボン中央駅からケルン中央駅までは所要20分ほどで切符も近距離扱いだ。恥じらいなくガイドブック片手に自動券売機と格闘する。まず駅名リストから行き先を選び、割り当てられた番号を画面に打ち込む。すると片道?往復?子供?などの質問が表示される。それらを選択すると必要金額が表示されるのでコインを投入する。覚えると便利だ。ウィーンでもそうだが、DBは検札がない。皆きちんと切符を買っているのだろうか。窓口で購入すると時刻と番線の案内状を発行してくれるが、券売機で購入すると出てこない。近距離なので案内するまでもないが、どの番線に列車が入ってくるか、プラットホームへ上がり電光板を確認しなければわからない。入鋏機付近には黄色い時刻表が貼ってあるが、どの駅に停車するかまでは書かれていないようだ。慣れていないと面倒で、階段を昇ってすぐに降りていく人を結構見かけた。 |
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2006/10/22 12:36
平成15年4月。早くも梅雨入りを疑うような天気が続く最終週。出張で広島を訪れた金曜日も同様だった。迂闊にも傘を持ち歩いていなかった私はずぶぬれで夕刻の町を歩いていた。コンビニで傘を買おうとしたが横川駅前に適当な店を見つけることができず、体で雨を受けながら顧客の社屋との間を往復した。一週間の疲労はスーツに染み込んだ雨とともに重く肩にのしかかった。本来この日のうちに大阪に帰るつもりだった。小学生の頃、修学旅行で平和記念公園と宮島を訪れたが、以来広島を訪れたことは一度もない。翌日仕事が休みということもあり、市内のホテルにチェックインすることにした。戦争を考えるとき、広島ほど我々に訴えかけてくる街はない。幼心に戦争のむごさを植えつけてくれた。あれから58年経た今、世界情勢に当時ほどの大きな変化はないが、相変わらずあちこちで戦禍が絶えない。先般終結したイラク戦争の是非を問う声は多く、我々にも再考の機会をもたらした。世界規模の反戦デモはある種ブームにもなった。反面、戦争を容認する声も少なくない。イラク解放の報道が先行し、戦争の正当性が過大に広まろうとしている。反戦を唱えていた先進国の首脳たちも徐々に静観に転じる。自身、戦争の是非について惑うことはない。しかし意識の底では対岸の火事で済ませている。ヒロシマは何かを教えてくれるはずだ。明朝の空模様が気になった。室内でFMを聞きながら業務をまとめ、雨音を聞きながら眠りに就いた。 |
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